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保健師

Makoについて

My Story of Life

Mako
Mako
ここでは簡単に私、Makoの生い立ちから、保健師としてどうやって成長してきたかをストーリー形式でお話したいと思います
夫
マイストリーを書いてみたんだね
Mako
Mako
色んな出来事を思い出しながら楽しんで書いてみました
夫
長文になっていますので、時間があるときに読んでみてください

 幼少期の体験

私は東京で3姉妹の長女として生まれました

私たちが小さい頃から両親は共働きでしたが、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいたので、毎日遊んでもらい保育園の送り迎えもいつもおじいちゃんでした

また小さな商店街の一角に住んでたこともあり、その中でも特に3姉妹は目立っていたので、周りの大人たちに凄く可愛がってもらっていました

一人で散歩していれば、近所のおばちゃんがお菓子をくれ、近所のおじちゃんがお茶をいれてくれ、本当に楽しい幼少期を過ごしていたと思います

運動会では周りの人がみんな顔なじみ、親同士も仲が良く、子供同士も知っているので、今でもたまに地元を歩いていると色んな人に声をかけてもらいます

いま思い返しても、こういう地域の繋がりがあって、地元の子供たちに気にかけ合うコミュニティの中で過ごせていたのは本当にありがたいことで、

私がこれから考えていくる地域ぐるみの「子育て支援」の原点はここにあるのだと思います

保健師をめざしたきっかけ

・子供が好きで関われる仕事につきたかった
・幼少期の環境の影響で地域コミュニティを大切にしたかった
・身近な母親が保健師として働いていたこと

 専門学校で「看護師」を取得

高校卒業後は、看護学校に進学して「看護師」の免許を取りました

看護学校は本当に短期間で詰め込み教育の上に、実習は激務でいつもぐったりとして帰る日々が続きました、ただ、一緒に乗り越えた仲間は今での一生の友達だと思っています

「看護師」の国家資格合格率は80~90%くらいなのですが、誰でも受かるわけではないので、みんなで集まって必死に勉強していました

どちらかというと私は勉強は得意だったので、周りに勉強を教えるタイプでしたが!笑

同期の仲良しグループ全員が晴れて合格して卒業できました

 「保健師」取得のために大学へ編入

多忙な専門学校の生活を終え、「保健師」取得を目指して大学に編入

さらに2年間大学で勉強しないと単位不足で資格が取れないのです

若干の補足をさせてもらいますが、「看護師」と「保健師」はどちらも国家資格ですが、「看護師」の資格をもっていないと「保健師」資格は取得できないのです。。。

※大学に進んで「看護師」「保健師」の両方を取る方法もあります

看護学校の成績はそこそこよかったので、無事に大学の転入試験に合格

大学には医学部もあり、お金持ちや天才が沢山いてここでも刺激的な毎日が続きました

 保健師として東京で働く

公務員試験も無事に一発で合格

大学卒業後に保健センター勤務がスタートし、まだまだ経験が足りないながらも新米保健師として頑張ってきました

保健師としての基本のしごと

・役所の窓口応対
・健康指導
・母子手帳発行
・乳幼児健診
・新生児訪問
・ガン検診(乳がん、大腸がん、子宮がん、胃がんなど)

 被災地派遣(岩手県宮古市)での経験

新米保健師から脱皮しようとしてた時期に転機がありました

東日本大震災から1年後、津波で被災した岩手県宮古市へ、保健師としての被災地派遣が決まり2ヶ月間活動することになりました

ここでの経験は、保健師としてだけでなく、人としても大きく成長する経験になりました

基本的な役割は避難所生活している方々を訪問して健康面での変化や不安などの精神面ケアをして回ることですが、被災地派遣中に大きな地震速報がでて、仮設の避難所設営もしました

突発的な出来事でイレギュラーな生活を強いられ、成長の道を閉ざされてしまったことで気持ちが折れてしまっている方々が多く本当に心が痛くなりました

しかし、地元宮古市の方々と食事の席や宴席などで触れ合う機会がありましたが、皆さんの心が徐々に強く、明るくなっていく場面に立ち会えたことに涙が出て、本当に貴重な体験をさせてもらえたと思っています

災害地派遣で学んだこと

・避難生活者を訪問して健康面、精神面のケア
・テレビ越しではなく現地で生に活動したことで心が強くなれた
・いろんな人に感謝されたことで保健師として自信に繋がった

 役所で働くと多忙な上に制約が多い

被災地派遣を終えた後は、地区担当保健師として個別のケースワーク及び、母子事業、成人事業運営に携わり、月100件以上の育児相談を担当し、母子それぞれの悩みに対し支援を行ってきました

必要であれば病院への同行受診、病院・学校・子育て施設との連携、月4回以上の健康教育の講義も担当し、保健師業務だけにとどまらず、事務や広報、セミナー主催など様々な仕事に携わってきました

ひとつだけ不満だったことが役所の予算上の問題で、わたしよりも年下世代が保健師として採用されず、ずっと一番下のままだったのが本当に辛かったんです

保健師の数が足りなかった事、そして、一番若く独身だったことから、夜スタートのお医者さんとの打ち合わせ、選挙投票所の手伝い、地域行事参加への準備など、、、

朝から晩まで、土日も構わず、ルーティン業務から外れるような仕事が全て私のところに回ってくる日々が続き、若干の疲れを感じるようになっていました

活動範囲

・地域のご当地キャラクターの作成
・セミナー開催
・保健センターの広報誌作成
・地方イベントの準備・設営・参加
・選挙投票所の開設、開票作業

 役所勤務の保健師を退職

さて、こんな激動の保健師生活でしたが、あることがきっかけで小休止となりました

 

その出来事とは・・・・・

 

Mako
Mako
結婚

 

夫
それに加えて転勤だよね

 

いまの夫との出会って神奈川県で同棲していたのですが、夫の転勤が決まって突然のプロポーズ

その2か月後に役所を退職して、拠点を「関東」⇒「九州」へ移すことになるのです

保健師として長年働いた役所を離れるのは苦渋の決断でしたが、8年の経験を活かし新天地でまた次のステップを目指すことを決意しました

過度なストレスからの解放に喜び、見知らぬ土地での新生活に不安が入り混じっていました

ただ、もしこの機会を逃せば新しい経験が出来ないかもしれないと一念発起

 

 起業を視野に勉強の日々です

最近は新しいことに挑戦したくてうずうずしてる毎日です

まず、第一ステップへの足掛かりとして、自分の活動の幅を拡げる為に「ベビーマッサージ1級・2級」の資格を取りました

また、役所の育児支援事業で保健師として働いているので、最新の時事ネタもこれからわかりやすく発表していきます

そのうち離乳食などの食事に関わる資格取得にも挑戦していきたいとぼんやり考えています

 私なりの「子育て支援」を実現に向けて

保健師として子育て世代の悩み相談を受けてきた中で、わたしの心の中でやりたいことが広がってきました

都市部でよく受ける相談なのですが、「ワンオペが辛い」「子供と一緒に行ける場所が少ない」「ベビーカーで入れる場所がなかなかない」等、子育て世代にやさしいコミュニティや空間がなかなか無いのが実情なんです

パパママと子供がのんびり過ごせるスペースが圧倒的に足りないのです

 

なので、わたしがこれまで経験してきた保健師としての知識をベースに、駅からアクセスのよい場所にフリースペースを借り、カフェなのか、セミナー会場なのか、マッサージスペースなのかは決めていませんが、何かしらの形で収益化して快適なスペースを提供しつつ、子育て世代と子供たちが、わたしともに成長できるような場所を作るのが夢になっています

3年以内に夫の転勤が終わり関東へ戻る予定なので、それまでに自分の武器である子育て知識を磨いて、集大成となるものを作りたいなぁと。(ぼんやり)

 

「子どもと楽しく育児に向き合えるような情報を提供したい」

「子どもの健やかな成長を育児支援の視点から関わっていきたい」

「子どもとママやパパ達がリラックスできる空間を提供したい」

子どもの年齢に合わせて変わってくる悩みに対して、「うまくいかないなー」「大変だな」っていう思いばかりが蓄積されないように、いろいろな情報発信をしてサポートしていきたいと考えていおます

・子育て世代に向けたスペースの提供
・子育て全般、健康、食事、衣服、部屋、知育などの知識のアウトプット

 

Mako
Mako
まだまだ未熟ものですが、末永く宜しくお願いします
夫
コメントや記事のリクエストは随時受け付けてます
Mako
Mako
子育てについて読みたい内容があればメッセージくださいね
夫
インスタグラムも毎週更新中だよ